(認知科学)コーチングでは、無意識を書き換えることがゴール達成の有力な手段です。
私は「意識の研究」を勉強することによって、無意識の書き換えの方法などのコーチング理論に加えて、私なりのやり方を考えていきたいと思っています。
この一連のブログ記事は、私の勉強ノートです。
サブリミナル操作は、19世紀の半ばくらいから色々と物議を醸し出しています。
そのルーツとされている、1957年の映画の最中に「Drink Coca Cola」というフレーズを挿入した悪名高い実験があります。 (Wikipediaをご参照ください)
これによってコカ・コーラの売上げが増大したことになっています。
しかしこれは、のちにまったくの作り話であったことがわかりました。
これをきっかけにして、
「目に見えないイメージは思考に影響を及ぼすのか?」という問いが残されました。
選挙や大衆操作だけでなく、脳の科学的な理解に関しても非常に重要な問いかけです。
アメリカやフランスの大統領選では、サブリミナルが使われていると言われています。
情報を処理するには、
それに気づいている必要があるのか?
気づいていなくても、それについて知覚、分類、判断が可能なのか?
無意識のうちに脳に情報を与える種々の方法がわかってきた今、この問いはますます重要度になっています。
以前のブログ記事で触れました、「両眼視野闘争」、「非注意性盲目」、「マスキング」
などは、わたしたちが見ているものを見えなくします。
私たちは、ただ単にそれらに盲目になるだけなのか?
特定の事象に注意を向けると、注意からもれた情報に対する知覚は中断され、処理は識閾下では継続しているのか?
処理は識閾下で継続しているなら、それらの情報は意識されることなく、脳のどの領域まで達しているのか?
無意識のプロセスの深さを測定できれば、意識をより明確に理解できるでしょう。
初期段階の情報が見えていなくても、意識に作用することが判明すれば、意識の探究からその段階を除外できます。
このような除去の作業を高次の段階へと徐々に押し進めていけば、意識の特徴について、もっと多くのことがわかってくるはずです。
こうやって無意識を掘り下げていくことで、意識の全体像が徐々に浮かび上がります。
私の一連のブログ記事では、今後無意識を掘り下げていくことで、意識と無意識の関係を
もっと明確にしていきます。
私たちは、マスクされたイメージを無意識のうちに認めて分類しています。
また、見えていない単語を解読したり解釈したりします。
識閾下に留まる画像は、まったく気づかれていないのに、
私たちを動機づけたり、報酬として作用したりします。
知覚と運動を結びつける複雑な作用ですら、無意識のうちに働くことができます。
これは、いかに普段私たちが、無意識の「自動操縦」に依存しているかを示します。
私たちは、無意識のプロセスの活動に気づかず、
自らの意思決定の意識の能力をつねに過大評価しています。
しかし本当は、意識的なコントロールの能力は限られているのです。
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