「意識の研究」(スタニスラス・ドゥアンヌ)を学ぶことは、コーチング理論の理解をさらに深めることができます。
「無意識の書き替え」などにおいて、独自の味をつけていきたいと勉強しています。
この一連のブログ投稿は私の学習ノートです。今回は、無意識、意識に続くテーマ
「意識のしるし」を書いていきます。
スタニスラス・ドゥアンヌたちは、「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説を主張しています。その骨子は、「意識は脳全体の情報共有である」という明快なものです。
この理論を見ていくことで、「意識とは何か」「意識はなぜ生じるのか」いついて、勉強していきたいと思います。
私たちの脳は、情報を選択して脳全体に伝播するために、前頭前皮質において効率的な長距離神経ネットワークを発達させました。
意識とは私たちが注意を向けた、情報を活性化したまま保っておくことができる、脳の一斉伝達システムだということができます。
情報を意識すると、私たちはその時点で目指していることに従って、その情報を他の領域に送ります。
情報を他の領域に送ることにより、私たちはそれを名づけ、評価し、記憶し、未来の計画のために活用できるのです。
神経回路網のコンピューター・シミュレーションの脳波記録を見ると、グローバル・ニューロナル・ワークスペースには、莫大な量の情報が、意識にアクセスできない状態のまま、ストックされていることがわかります。
意識のしるしを発見したことは大きな前進ですが、脳波やニューロンのスパイクだけでは、「意識とは何か」「意識はなぜ生じるのか」を説明することはできません。
遅れて生じるニューロンの発火、皮質の点火、脳全体にわたる同期は、なぜ主観的な心の状態を生むのか?
これらの脳の事象は、いかに複雑な心的経験を生むのか?
苫米地博士の書籍に中にあった、下記の文章を思い出します。
心理学を科学としたために、人間を、「こんな刺激(入力)を与えたら、こんな結果(出力)が出た」というように、入力と出力で解明できると思い、その関係のみで捉えようとしました。つまり、人間の心をブラックボックスにしてしまい、その中でどんなことが起きているのか、どんなプロセスがあったのかには、目をふさいでしまったのです。認知科学はこうした問題意識から始まりました。つまり言い換えれば、「人間には心があるのですよ」というのが、認知科学者の、実験心理学の失敗への答えでした。『Dr.苫米地の「脳力」の使い方』(苫米地英人 著)
注)この文章は、スタニスラス・ドゥアンヌの研究以前の心理学について述べたもので、スタニスラス・ドゥアンヌの研究を批判しているのでは、ありません。
これまでのブログでも神経科学が脳の中のさまざまな出来事を明らかにしてきた経緯を見てきました。
「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説をもう少し詳しく学習することで、「意識とは何か」「意識はなぜ生じるのか」という問いに対する答えを見ていきます。
私は、「神経活動と心はまったく異なる次元に属するのではないか」と直感的考えていました。この直感が正しいのか、間違っているのかについて、明らかにしたいと考えています。
心の事象が、脳の活動パターンにいかに関連するかを説明する、一連の架橋的な法則を見出すことができれば答えが見つかるのではないかと考えます。
この謎は、19~20世紀にかけて物理学の分野で解決してきた謎と、それほど大きくかけ離れてはいません。
「通常の物質の全体的な特徴は、いかに単なる原子の配列から生じるのか?」
「わずかな炭素、酸素、水素原子と、それを取り巻くほぼスカスカな空間から構成されるにもかかわらず、テーブルはなぜかくも堅固なのか?」
「液体とは何だろうか? 固体、水晶、気体、炎とは何か?それらの形状や特徴は、いかに原子の緩い織物から生じるのか?」
これらの問いに答えるには、物質の構成要素に対するボトムアップの分析と、数学的な統合理論が必要でした。
脳と心の溝を埋めるためには、このような理論を構築する必要があります。意識的知覚が生じた瞬間、人間の脳内に存在する1000億のニューロンが、どのような発火パターンを示すのかを特定することは、実験では不可能です。
物理学がやったことと同じように、数学的な理論を活用することで、心を神経活動に結びつける説明をできると思います。
スタニスラス・ドゥアンヌたちの、「グローバル・ニューロナル・ワークスペース」仮説によって、下記のことが説明できることを学習していきたいと思います。
「意識の本質は何か」
「脳の同期した活動からいかに意識が生じるのか」
「意識はなぜ、前章で見たような特有のしるしを示すのか」
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